
15年ぶりのトップ交代となった富国生命保険。新社長に就任したのは、一貫して運用畑を歩んできた渡部毅彦氏だ。社長就任の1年前には企画担当になり中期経営計画を策定、その後社長に就任したことで、自ら作った中計を実行する立場となった。そこで、渡部新社長に中計の要諦を聞くとともに、今後の富国生命の経営方針について話を聞いた。(ダイヤモンド編集部編集委員 藤田章夫)
運用畑で最優の会社を目指してきた
渡部毅彦氏が新社長に就任
――15年ぶりに社長交代が行われトップに就任されましたが、これまで一貫して資産運用部門に携わってきました。
1986年の入社ですが、当時はバブル経済の入り口で、世の中はおしなべて規模拡大を目指していました。そうした中、富国生命は「最大たらんよりは最優たれ」と掲げ、規模ではなく質を追い求めていたので面白い会社だと思いました。
入社してすぐに資産運用部門に配属になりましたが、実際、手堅い経営を行っていました。90年代半ばには同業他社が相次いで経営破綻しましたが、当社は株や不動産に手を出さない経営を行ってきたことが、生き残りにつながったと思います。
運用部門の担当としても、規模ではなく最優の会社を目指してきました。米山(好映)前社長の時代には、リーマンショックや東日本大震災などが起こりましたが、資本を厚くしてお客さまとの約束を守ってきました。その上で、リスクを取って運用利回りを上げるという経営方針でした。
ALM(資産負債管理)には逆行しますが、低金利時代には国債への投資を控え、外国債券への投資の際に為替のヘッジを外すなどの運用を行ってきました。それでも健全性を維持できるのは、資本を積み上げてきたためです。それを15年にわたって米山前社長がやってきてくれたおかげで、運用部門の担当としてやりたいことができました。
――昨年、企画担当として中期経営計画を策定し、その後社長に就任しました。
24年4月に企画担当になり、中計を策定しました。そして昨年末に米山に呼ばれ、「次の社長をやってもらう。断るという選択肢はないから」と告げられました。企画担当を1年務めましたが、それまでは運用部門の経験しかなく、個人保険を担当したことがありません。ですが、「金利がある世界でのマネジメントが必要になる。運用部門での決断力や物事を進めるスピード感を評価している」と米山に言われました。とはいえ、まさか自分で策定した中計を自分で執行することになるとは思っていませんでしたね。
――中計のポイントは何でしょうか。
まず、よく聞かれるのが「国内市場だけでやっていけるのか?」という点です。われわれなりの答えを出さなければなりませんでした。ただ、これまでデフレと異次元緩和、少子高齢化で収益は多少落ち込んでいましたが、デフレと異次元緩和が収束したことでポジティブな変化が訪れました。それらを踏まえ、当面は国内市場でやっていけるという結論を出しました。
具体的な方策は、大きく三つあります。
25年4月からスタートした中計を策定した渡部新社長。国内市場で成長するための三つの方策に加え、同業他社に比べて若手の営業職員が多い理由について次ページで明らかにする。