
文化人として活躍する
多数の卒業生たち
東京都中野区にある都立高校だ。「むさしがおか高校」と読む。前身は旧制東京府立第二十一中学校で、84年の校歴がある。文化人として活躍する卒業生を多数、輩出している。
元号「令和」の「名付け親」と言われている万葉学者の中西進が、旧制都立武蔵中学時代の1947年に卒業している。小学校5年から広島で過ごし、旧制広島高等師範学校附属中学(現広島大附属中学・高校)に進んだが父親の転勤に伴い武蔵中学に転校してきた。29年生まれだ。
東大文学部に進学し日本文学を専攻、万葉集の研究で第一人者となり、国際日本文化研究センター教授、大阪女子大・京都市立芸術大・池坊短期大学で学長を務めた。94年には宮中歌会始の召人になった。2013年には文化勲章を授与された。
「令和」の言葉が採られたのは、万葉集に収められた「梅花の歌三十二首」の序文だ。元号はこれまで漢籍から採られていたが、国書を典拠にしたのは初めてだった。ただ中西は、「元号は特定の個人が考案するようなものではない。多数の意見で決まるものだ」と、公的には名付け親説を否定している。
学者・研究者では、歴史学者で静岡大教授をした黒羽清隆、ロシア史が専門の歴史学者で元米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授の長谷川毅、民俗学者で元国立歴史民俗博物館教授の福田アジオがいる。
美術史学者で早稲田大教授を務めた村重寧(やすし)、哲学研究者で東洋大教授だった村上勝三がOBだ。神山敬章は教育社会学が専門で、元明星大教授だ。武蔵丘高校の同窓会長をしている。
渡辺融は体育学が専門で、東大教養学部教授を務めた。58~62年と78年に、東大野球部監督をした。
青山佾(あおやま・やすし)は東京都の職員出身で副知事を務めた。退職後に明治大公共政策大学院教授に就き、防災政策などを研究した。